2008年8月アーカイブ

ミーンミンミンミ~~~ン・・・とセミの鳴く声

いつもと調子が違う? 少し尻下がりのフェードアウト。
息が続かない感じだ・・・
あなたは、夏が終わる予感を感じていますか?

セミは幼虫で7年ほど過ごし、
成虫になってたったの1週間か2週間しか生きられない。
晩夏の今、自分の最後を知って必死で残りの力を振り絞り燃え尽きる。
セミは「とき」をどうやって知るのであろうか?

人生や物事には「とき」というものがある。
機が熟す、果物の食べどき、刈り入れ時、
鬨の声、厄年や天中殺などなど・・・
時間的なものとタイミング的なものが合わさっている感じである。

人生には良い「とき」もあれば悪い「とき」もある、
辛い「とき」もあれば楽しい「とき」もある。

常に変化し揺らぐ「とき」を感じ、
知ることで人生に活かそうというのが易などにみられる。

森羅万象と自分とのつながりが理解できれば
「とき」と共により良く生きられるのではないかと私は思う。

植物は季節の「とき」と共に生きている。
冬はシッカリと根を張り、春は上に芽を出し、
夏は大きく逞しくなり、秋に大きな実をつける。

企業経営でも人生でも「とき」はあるだろう。
じっと耐えるとき、一気に打って出るとき。
独りよがりで判断せずに、
周りをよく見て流れを読み、「とき」を味方につけよう。


(次号に続く)
まだまだ暑い折、怖~い話で涼を得ようとするのは日本独自のものだろう。

あなたは暗闇をどう感じますか?
私が子供の頃は便所に行くのも怖く、歌を口ずさんだりして勇気を振り絞ったものである。
便所まで廊下が5Mほどあり電気はたどり着いたところにスイッチがあった。
怖い映画や話を聴いた後は暗闇の中に何か居そうでとっても怖かった。

私の実家は川岸にある部落で家は横並びにまばらに建っていた。
外灯もまばらで裸電球であった。
夜、集会や回覧板を持っていくときには懐中電灯が必須だ。
それでも暗闇には圧倒的なものがあり怖かった。
途中草むらであろう暗闇からガサガサと草が擦れ合う音がしたなら...
身体が固まり、頭が真っ白になる。
それでも懐中電灯を音の方向にむけてしまう。
草むらから犬が出てきたのを見てホッとして脱力する。汗も噴き出す。

恐怖の裏側には好奇心があるのかも知れない。
怖いもの見たさと言われるものかも?

何か得体の知れないもの、未知の物や出来事に対して人は恐怖を持つ。
人は早くその恐怖を取り除きたい。
故に恐怖の原因を探ろうと五感を働かせてしまう。

昔の人間は闇に恐怖して敬った。
目に見えないものを信じ大切にした。

夜に人工衛星から見ると日本列島が明るく浮かび上がる。
闇はどんどん排除されていく...。
同時に人の心に足りないものが増えてきていると感じる。

目に見える世界(明在系)は目に見えない世界(暗在系)の一部である
と言う物理学者がいる。

あなたはどう思いますか?


(次号に続く)
想念という言葉を聞いたことがありますか?
想い念ずる、で想念ですが人間がふと考え、思ったようなことから
強く念ずることまで含まれる。

想念を大切にしなさい・・・私の母の言葉である。
念ずればはなひらく!・・・真民先生の有名な詩である。(仏教詩人)

声に出さなくても悪いことを想っていると、悪いことが起きる。
良いことを想っていると良いことが起きる。
全ては想いから始まる・・・。

成功の法則や引き寄せの法則なども想念を大切にしている。
頭の中で良いことと悪いことがぐるぐる回るが、良いことが多いほど良い人生になる。

全てプラスになれれば良いが、神様でもないと難しいと思われる。
だからこそマイナスの部分をプラスに変えていくことが大切になる。
勇気を持って自分のマイナスを認め受け入れると、そのあとに肯定的自分になれる。
自分の問題として何事にも取り組めば本質が見えてくる。

「想念」は不思議と「共時性」を生み出す。
電話をしようと思ったらかかってきたとか、虫の知らせとか、
誰かの意思を感じてしまうような偶然である。
空間を越えて同時に起こったり繋がったりするのである。
最近私にとって意外によくあることで、今はあまり驚かない。
私は神様や宇宙の意思であろうと想い、その出来事の意味を考えるようにしている。

良い悪いにとらわれることなく、全ては含まれ調和の中に存在することと私は想っている。
そう思うと少しは幸せな気持ちになる。

原爆、終戦記念日、お盆・・・あなたはどんな想念で過ごしますか?
世界が平和でありますように!
感謝



(次号に続く)
自分が美味しいと思っている商品やお店を、人に紹介したことはありませんか?
A「美味しいから絶対に行って食べてみて!」
B「うん!行ってみる!」と言う会話で終わる。

しばらくして会って
A「あの店どうだった?」
B「え?あ、ごめんまだ行ってない」
A「なんだよ!あれだけ店の場所とか詳しく聴いといて...」
B「わるい、このところ忙しくて」
A「お前っていつもそうだよな!俺のこと後回しだもんな...もう次は教えてやらない」
B「そんな意地悪言うなよ...」
てな感じで、なんか気まずくなる。

これこそが「アドバイスの罠」にハマったコミュニケーション。
Aは自分が良かったからBも同じように喜ぶだろうと思い、お店を紹介する。
Bも善意と受け取り、Aに答えようとして行くと言う。

Aは良かれと思ってしてあげたのに、Bは思い道理に動かない。
Aは裏切られたと感じ自尊心が傷つき怒る。

カウンセリングではアドバイス的な情報は与えるが、
最終的にどうするかの決断は「相手に任せる」ことが大切である。
選ぶ権利を奪ってしまうと...「やらされた」になり、
自主性がなくなりモチベーションが低下する。

あなたの会社では「やらされた感じ」が蔓延していませんか?
人は自分で決めたこと以外は責任を取りたがらないものです。


(次号に続く)